風の中の迷宮

岡井直道


 峠に向かう道は、前方を見通せないくねくねした上り道で、そこを行くと何か胸のうちに予感が高まってくる。しばらくしていきなり開けた場所に出た。片側が山の裾に向かって急勾配になっている。その斜面から向こうの山まで一面深く緑に覆われていた。 ----樹海だ! 初夏の緑が濃い。その中に何本か抜きんでて白く乾いた骨のような木が突っ立っている。緑の葉はつけず、ただ乾いて、枯れて、スックと立っている。枝は斜め下に向かって、すっと手をひろげたままの姿だ。自然のなかの " 自然 " 向こうの山まではそんなに遠くない窪地の樹海だが、その中に立つ何本かの白い木らがその空間を広げて見せてくれていた。

 大江健三郎の本の中に " 鯨の木 " というものが出てくる。本の中での描写はこれとまるで違うけれど、その時の私にとって、まさに眼前の骨のような巨木は " 鯨の木 " と重なっていた。緑の海に抜きん出て、白く突っ立っている姿は、今も私の心を騒がせる。
いつか広い海原で、鯨の姿を見ることがあるだろうか・・・・・

 昨年(1998年)の6月末、アンゲルスの実験劇場 No.1「きちがいお茶会」を終え一時東京に戻ったが、その途中で遭遇した、奥飛騨、安房峠の光景 ---- それは私の中にあった " 鯨 " と " 樹木 " の印象をさらに鮮明にした。

 かつて、異郷の都市に滞在したことがある ----- 多くの建造物と街中を流れる河、石畳の広場、地下へ降りていく通路、----- 内に重層的な多くのものを秘めた都市は私に多くの示唆とインスピレーションを与えてくれたが、緑の樹海とそこに白く乾いて立つ骨のような巨木もまた、平板な日常から私を " 彼方 " へ連れだしてくれた。その印象は視覚的に単純で明快でありながらも、その内には " 多様に連鎖するもの " を秘めている。それは、洞窟を手探りでたどって行くときに味わう感覚と、同質のものだ、物質的、肉体的な原理の重要さと、宇宙的、社会的、肉体的な諸要素の緊密なつながりを知覚させ、詩と再生の情念の重なり合いが浮かび上がる。そしてその迷宮で、もろもろの決まりごとをひっくり返してみせる哄笑を聞く・・・・・。

 地下の迷宮に足を踏み入れたとき、地底から吹き上げてくる風に出会う。----- 迷宮の深いところには、いいも悪いも、きれいも汚いも、あらゆるものを溶かした灼熱のマグマが滾っている。そこから吹いてくる風に身を晒していよう!

(1999 1 . 7)

[BACK]   [NEXT]
['98 Angelus ] のTop page へ