劇評

<右記事 内容>

 様々な色や材質の端切れなどをつなぎあわせて作った手芸品のことをパッチワークと言う。
 金沢市の劇団「アンゲルス」(岡井直道代表)がこのほど、同市大和町の市民芸術村ドラマ工房で、第三回公演として上演した「オセロー」(シェークスピア作)を見ていて、このパッチワークを想起した。
 何しろ、舞台に登場する要素が、引用される章句が、ただごとではない多さなのだ。古典的な劇世界を、新たな視点から、とらえなおそうとする姿勢は、真剣そのもので、好感が持てる。
 主人公オセローが、腹心の部下イアーゴーの計略に乗り、妻デズデモーナーの愛を疑い、無実の彼女を絞め殺し、最後は自らも死ぬという大筋は原作通り。しかし、ある時は踊り、ある時はイアーゴーらに代わってせりふを発する「地の者」という登場人物が加えられたのは興味深い。
 戯曲の中に、新たに引用された詩句はふんだんだ。  小説家大江健三郎の「燃えあがる緑の木」に、詩人ランボーの詩「永遠」。生誕百年を迎えた劇作家ブレヒトの「三文オペラ」の中に出てくる「大砲の歌」、「海賊ジェニー」といった歌、そして、詩人イエーツの詩「揺れ動く」。
 それぞれの詩や文が、魅力的な味わいと多くの読者を持っている。観客のうちで、熱烈な大江ファンだったら、「おお、大江の文だ」とうれしくなるかも知れない。いささか衒学趣味交じりの、そんな楽しみ方も可能な公演だった。

1999年1月26日 読売新聞 掲載

 舞台に盛り込まれた仕掛けや、俳優の "出し物" も実に多い。
 まず、能舞台の橋懸かりにも似た「一本の鉄の道」を劇場の床に、斜めに突っ切らせた舞台美術は秀逸そのものだ。二十世紀という時代を象徴するかのような鉄という素材を使った道を、ある時は俳優が挟んで向かい合い、ある時は、歩く。
 「オセロー」というドラマを過去の出来事として片付けず、現代性のある作品であることを美術が暗示しており大変、効果的だった。
 このほか、大道芸の披露があり、色とりどりの長細い布切れをさっと舞台上に張り渡す演出がありと、なかなか忙しい。
 そして、極めつけは、舞台を、何層にも迷路の重なり合う「地底の迷宮」と設定した点だろう。岡井代表は、決して地底へ逃避しようとした訳ではない。彼はこう言う。
 「現代社会に張り巡らされた規則・規範を一度、どろどろに溶かして、新たな世界を創造してくれるかも知れないしゃく熱のマグマへあこがれ、一歩でも近づくために登場人物たちは地底の奥深くに広がる迷宮へと突き進むのです」と。鑑賞していて、確かに、この言葉に偽りはなかった。
 単純な善悪の二分法で人間を裁断するのではなく、岡井は、自由を追い求めずにはいられないイアーゴーやオセローの姿を描く。だからだろう、鑑賞していて「心の風通しが良くなる感じ」を覚えた。

しかしだ。公演全体を通して、あまりにも様々な要素が詰め込まれ、思い入れたっぷりの引用が続いたために、難解でごちゃごちゃとした印象ばかりが残ってしまった。
 公演のために、陰で努力することと、その努力の成果をすべて観客に見てもらおうとすることは厳しく区別されねばなるまい。何を省けば、より理解しやすくなるかをアンゲルス全体で考える必要性があるのではないか?
 また、ある考えや文章に作り手側が激しく感動したからといって、それをパッチワークの様につないでいけば、観客も同じように酔えると思ったら、それは間違いだろう。
 岡井の演出を始め、スタッフや俳優全体が大変、意欲的。様々な試みや引用にも、良いセンスはある。「鉄の道」を始めとした舞台美術も面白い。これらの点は高く評価できる。
 ただ、アンゲルスがより質の高い演劇を目指そうとするなら、基本に立ち返って、ドラマを表現する身体を徹底的に鍛錬するしかないだろう。残念だが、一部の例外を除いて、今公演で登場した俳優には「立つ」「歩く」といった人間の根本となる動作に、おぼつかない部分が見受けられたのだから・・・・。
 大道芸まで披露するといった「あれもこれも」の姿勢ではなく、地味な作業の積み重ねから無駄をそぎ落とした堅実なドラマを構築して欲しい。

市原 尚士

1999年1月31日 北国新聞 掲載

<左記事 内容>

このほど、劇団アンゲルスの第三回公演が金沢市民芸術村で行われた。演しものは「オセロー」。 「オセロ」といえば、シェイクスピアの有名な悲劇で、「オテロ」という名の歌劇も二つ、これに基づいて作られている。念のため大学生に知っているかどうか聞いてみた。
 四十人のクラスでだれ一人知らなかった。ゲームのオセロなら知っているという。だから、芝居を観に行って、定員百人ちょっとのホールが二十代前後の若者で、ほぼ埋まっているのを見て驚いた。上演は三日間、五回行われたのである。毎回、これだけ入ったかどうかは知らない。しかし、若い層の間に、この劇団の支持者が相当数いるらしいことは確かで、非常に心強いことだった。
 「オセロ」は黒人でベニスの将軍オセロが、副官になれないことを恨んでいるイアーゴの奸計にかかって妻のデズデモナの貞節を疑い絞殺し、その後でだまされたことを知ってイアーゴを殺して自分も命を絶つという話である。人間の嫉妬の恐ろしさを描いた作品として、奸智に長けた悪役イアーゴとともに余りにも名高い。作中の言葉「緑の目をしたモンスター(化け物)」は嫉妬を表す表現として英語に定着している。
 今回の上演は金沢市出身の岡井直道氏の脚色演出によるものであるが実験劇場の名にふさわしく、いろいろ新しい趣向が凝らされていた。例えば、芝居の進行中に、たびたび列をなして無言で歩く「地の者」。さまざまな楽器や鳴り物の音響効果。ギリシャ悲劇のコーラスを思わせる合唱や前口上。脚本も原作とは、かなり違っているようだった。
 シェイクスピアは言葉の魔術師である。背景も小道具もほとんと使わずに、ひらすら役者の紡ぐ言葉によって想像力をかきたて、観客をフィクションの世界にいざなう。
 岡井氏の演出がその魅力を十分に生かしていたかどうかは疑問に残るが、古典的名作をざん新な視点で現代に再生させ、若い観客にもアピールした点は評価されよう。

(たなべ・むねかず=金大名誉教授・英米文学、金沢市)


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