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舞台に盛り込まれた仕掛けや、俳優の "出し物" も実に多い。
まず、能舞台の橋懸かりにも似た「一本の鉄の道」を劇場の床に、斜めに突っ切らせた舞台美術は秀逸そのものだ。二十世紀という時代を象徴するかのような鉄という素材を使った道を、ある時は俳優が挟んで向かい合い、ある時は、歩く。
「オセロー」というドラマを過去の出来事として片付けず、現代性のある作品であることを美術が暗示しており大変、効果的だった。
このほか、大道芸の披露があり、色とりどりの長細い布切れをさっと舞台上に張り渡す演出がありと、なかなか忙しい。
そして、極めつけは、舞台を、何層にも迷路の重なり合う「地底の迷宮」と設定した点だろう。岡井代表は、決して地底へ逃避しようとした訳ではない。彼はこう言う。
「現代社会に張り巡らされた規則・規範を一度、どろどろに溶かして、新たな世界を創造してくれるかも知れないしゃく熱のマグマへあこがれ、一歩でも近づくために登場人物たちは地底の奥深くに広がる迷宮へと突き進むのです」と。鑑賞していて、確かに、この言葉に偽りはなかった。
単純な善悪の二分法で人間を裁断するのではなく、岡井は、自由を追い求めずにはいられないイアーゴーやオセローの姿を描く。だからだろう、鑑賞していて「心の風通しが良くなる感じ」を覚えた。
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しかしだ。公演全体を通して、あまりにも様々な要素が詰め込まれ、思い入れたっぷりの引用が続いたために、難解でごちゃごちゃとした印象ばかりが残ってしまった。
公演のために、陰で努力することと、その努力の成果をすべて観客に見てもらおうとすることは厳しく区別されねばなるまい。何を省けば、より理解しやすくなるかをアンゲルス全体で考える必要性があるのではないか?
また、ある考えや文章に作り手側が激しく感動したからといって、それをパッチワークの様につないでいけば、観客も同じように酔えると思ったら、それは間違いだろう。
岡井の演出を始め、スタッフや俳優全体が大変、意欲的。様々な試みや引用にも、良いセンスはある。「鉄の道」を始めとした舞台美術も面白い。これらの点は高く評価できる。
ただ、アンゲルスがより質の高い演劇を目指そうとするなら、基本に立ち返って、ドラマを表現する身体を徹底的に鍛錬するしかないだろう。残念だが、一部の例外を除いて、今公演で登場した俳優には「立つ」「歩く」といった人間の根本となる動作に、おぼつかない部分が見受けられたのだから・・・・。
大道芸まで披露するといった「あれもこれも」の姿勢ではなく、地味な作業の積み重ねから無駄をそぎ落とした堅実なドラマを構築して欲しい。
市原 尚士
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