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ハイナーミュラーの仕事(3)

・・・・・・・岡井直道

 1998年の6月、7月、8月の3ヶ月をかけて〈ハイナー・ミュラーを考える〉という実験的“試み”を続けてきた。第一作目は、L・キャロルの「不思議の国のアリス」と大江健三郎の「燃えあがる緑の木」を題材にした《きちがいお茶会》であり、第二作目が、H・ミュラーの「アルゴー船隊員たちのいる風景」と大江の「‥‥緑の木」の中に“アリス”がまぎれ込む《アリスとアルゴー船隊員たちのいる風景》という作品であり、第三作目が今回の《オセローマテリアル》である。今回は、“アリスその人”は出演しないものの、「オセロー」という〈不思議な国〉に迷い込む“アリスたち”は数多く出演している。

 ミュラーの“テクスト”の読み方は多様である。ミュラーは過去と現在を一つの作品(舞台)の中で、同一にとらえようとしてきたといっていいだろう。それは、「出口なき歴史哲学」あるいは現代の社会が作り上げてしまった「機構」、そこからの脱出口を過去・現在の人知を総動員して探しだし、認知しようとする行為であるといえる。

一つの作品の中に、時間的・空間的に様々な矛盾を内包する“事例”を埋め込んでいくことで、矛盾そのもの・多面性そのものに意味を見いだそうという姿勢があるように思える。多面性を含むがゆえに現実的でもあり劇的ですらある人たち、つまり――時間的・空間的に様々な矛盾を内包する境界歩行者たち―― による舞台の占拠を企んだのだ。

 ミュラーテクストの特徴をあげれば、多くの〈断章性〉と〈二項対立の一方に軍配をあげぬ基準性〉といっていいと思うが、この在りようは、明確な基準を確定してそれを作動させることで“進歩”してきた現代社会の基準とは、異なるものなのだ。

 ミュラーが書いた作品の魅力は、提示されたそれぞれの事例の“間隙内”に「解放区(意味/価値/ユートピア)」が残されていることであり、参加するものが、そこに新鮮な生きた色や、音楽を創り出していくことで成立していく“演劇”だから、といっていいだろう。

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 私も、そんな彼の“生き方”に触発されて、この間アンゲルスのメンバーと一緒に3本の作品を作ってきたが、当然のことながら、これは、――難しい! 理屈はたっても、この国で教育を受け、その中で毎日の生活を営んでいる私たちにとっては、〈境界歩行者〉の目を獲得して、舞台を軽やかに飛び回ることなぞそう簡単にできることではないようだ。  ただいえることは、この三ヶ月の行為が、僕たちなりに生きることをさぼらないで、―― 新しい知恵と認識と回路の発見のために、事物についての恐ろしいほど多彩な詩的メタファー(超言語)の世界に、意識的に紛れようとしたということだった、ということだ。まるでアリスのように‥‥。

(1998.8.15記)

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