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ハイナー・ミュラーの仕事(1)・・・・・・ 岡井直道 |
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1989年から90年にかけて東欧諸国でおこった一連の事態、すなわち既存社会主義国家体制の崩壊と、それらの国、地域の“西側”への急速な接近という事態は、私にベルリン行きを決心させました。現代演劇がそこに生きる者の生き方に関わりがあるものなら、この“時代の転換期”にこそドイツに行って芝居を見るべきだ!・・・・そんな風に少々気負いたっていたように思います。私の留学は、東ドイツが西ドイツに併合されてから丸2年がたった1992年の10月末に実現しました。 ベルリンでは多くの舞台に接する機会に恵まれましたが、帰国直前の一ヶ月半の間は、ベルリーナ・アンサンブルで、ハイナー・ミュラー演出の作品「ファッツアー」に参加することができました。 稽古の実際は、一言で言えば“断片が多く創られていく稽古”といえばいいでしょうか。作品は幾つかの断片にバラバラにされ、台本は片面だけが印刷されたものがルーズリーフに綴じられています。これは、稽古での“変更”を当然のことと考えているということなのです。ページの入れ替えや、新しい文章の挿入、削除は毎日のように行われ、俳優が読む個所もしばしば変更になるので、出演者は、稽古を積み重ねるということが出来難いわけです。俳優達のみならず、その協働者であるスタッフ達も毎日稽古に参加して、膨大な断片のひとつひとつと向き合い、何度もプランを書き換えていったようです。ミュラーはこの“断片化”について次のように発言しています。『出来事の断片化は、出来事の過程的性格を強調し、製品の生産消滅、つまり市場化を損ね、観客が共に生産しうる思考分野への似姿をつくりだす武器にもなる』と。確かに「ファッツアー」の稽古でも、その過程でさらなる分裂、断片化を誘い出し、異化結合ともいえるような多くの対立的な思考を生み出していました。ミュラーは、歴史や現存社会を“断片化”することによって、その統一性と合目的性を解体し、新しい状態を提示することを意図していたようにです。これは“無意識”に埋もれてきた次元を“知覚”に浮かび上がらせようとすることなのだと思います。 ハイナー・ミュラーの作品は、初期の“生産劇”といわれるものは別としても、総じて難解極まりないといわれており、観客が大入りになるような作品とは思えないのですが、新作を発表する度に劇場は満員になり、話題に事欠かないようでした。これは、ブームというようなものではなく、“時代の転換期”における“現象”と呼ぶべきもののように思われます。すなわち、啓蒙主義と社会主義リアリズムの破産が声高に叫ばれてはいるものの、多くのヨーロッパ現代演劇は、近代劇の 文法を打ち破れずに現在に至っているわけで、 |
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こんな中で難解ではあるけれど、ハイナー・ミュラーの“何か”に期待が集まっているのだといえます。彼は、構造主義とそれに続くポスト構造主義、その中から出てきた脱構築(Dekonstruktion)の考え方を、演劇の場に取り込もうとしていたのです。 80年代以降、ミュラーはアレゴリー(寓意)ではなく、メタファー(隠喩)という言葉を多く使っています。ミュラーによると、アレゴリーは一つの意味に還元可能で、それが経験を妨げてしまうのに対し、メタファーは「一つの意味には還元不可能」なのだということです。私はドイツ滞在中にシェークスピアの作品を読み返してみたのですが、エリザベス朝に書かれたこれらの作品は“メタファー”の洪水のようなものです。確かにどの断片をとりあげても、一つの意味には還元不可能と言っていいのだと思います。そしてこのことが、シェークスピアの、大きな魅力な のであり時空を越えて上演され続けられている所以なのでしょう。 ミュラーは、あまりに早く変わっていく現実に対して、ある種の遮光装置のようにメタファーを構築していきます。この現実は、そうゆうふうにしか自分のものに出来ないというわけです。すなわち概念では、そんなに速く定式化も把握もできない“経験”というものを演劇の中で創り出すために、想像力を解放してメタファーを構築し、使っているというわけです。ハイナー・ミュラーのことばに『作者はアレゴリーより賢く、メタファーは作者より賢い』というのがありますが、これは、18世紀以降の啓蒙主義や社会主義リアリズム演劇に対する批判にもなり得ているわけです。ミュラーは、近代演劇が失ってしまった“メタファー”を再び演劇に取り込もうとしているのです。“俳優が演ずる”ということをミュラー流にいえば、テクストをシンボルとして捉える------すなわち現実模写を行う-----ことではなく、メタファー的捉え方を自らに荷すことで認識への道をさぐりとろうとすること、ということになります。これは、ブレヒトのいう“異化”ということであり、ヴェンヤミンのいう“状況の発見”ということなのです。・・・・・ (岡井著「ハイナー・ミュラーにおける叙事詩的演劇の現在」1994---から再録) |
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私がドイツから帰国してから二年、1995年12月30日に、ミュラーは突然逝ってしまいました! 今年(1998年)は<ブレヒト生誕100年>にあたり、ドイツ本国ならず、世界各国で多くのブレヒト作品が上演されていますが、ブレヒトとベンヤミンのすぐれた研究者でもある野村修氏がつい先日、やはり突然逝ってしまわれました。 野村修氏の著書「ベンヤミンの生涯」の表紙に 『<夜の中を歩み通すときに助けになるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ>という
ベンヤミンの言葉が、僕は好きだ。しかし先を逝った誰かの途絶えた足音が、 僕らの耳につきとおってくることもあるだろう・・・』 本当に、耳を澄ませて生きたいと思います。 (1998.6.26 記) |