-----揺れ動く-----

黒い旗に包まれたカジを挟んで、 ギー兄さんとサッチャンが話す。


舞台写真
<左から> 橋場久美 根本陽子 下條世津子 月原 豊

サッチャン が言う

《両極の間に/道をさだめて人は走る。/たいまつが、あるいは燃える息が、/来て破壊する/昼と夜の/すべてこれらの二律背反を。/肉体はそれを死と呼び、/魂は後悔と呼ぶ。/しかしもしこう呼ぶことが正しいなら/喜びとはなになのか?》

ふたつの極の間を走る、それが人間の生きることだ、という感じはわかるように思うのよ・・・・その人間の走り自体、二律背反だということも、よくわかるわ。肉体の側からいえば、それが死だ、というのはもっと明瞭ね。けれどもね、後悔というのがやはりよくわからない。

ギー兄さんが言う

たいまつか、または燃える息に触れて、この世の生が終わったとしよう。肉体は破壊されて転がっている。確かにここにあるのは死だね。一方、来世から魂が、・・・・heart だから、心と訳した方がいいかも知れないけれど、ともかく肉体に対立するものが、現世の来し方をふりかえる、そうやって、矛盾のままにきた生を後悔する・・・・

それに対してね。破壊されたにしても、肉体が現世で味わった喜び、矛盾のなかであれ、魂が感受していた喜びが無意味なものか? 決してそんなことはない。

イェーツの、ふたつの極の間の生というのはね、僕の解釈だと、・・・・なにより両極が共存しているということが大切なんだ。愛と憎しみ、善と悪、一瞬と永遠、それらが共存しているということだろう? ある一瞬、永遠をとらえたという確信が、つまり喜びなんだね。

舞台写真
<前から> 根本陽子 月原 豊
舞台写真
<左から> 根本陽子 月原 豊 下條世津子

眠るように話を聞いていたカジが、話し出す。

ギー兄さん、・・・いまさっきもいうた、眼に見えておるものが、全部。遠方に引き退って見えることね。そのうち、元に戻るけれども、また気がついてみると小さく遠くなっておる。遠いからというて、ようみえぬのじゃなしにな。・・いまも、ギー兄さんは遠方に立っておって、天井はものすごう高いよ。

そのことを病院で考えておったら、思いついたことがあって・・生まれたときからずっと、あしがな、この遠方に見える見方でみておったのやったら、この世界はこういうふうに見えるのや、そしてあしより他の人もみな、いつでもこのように、小さくて遠いものを見ておるのと思っておったのやないかと・・・


それで考えたのやけど、大体な、あしに見えているとおりの世界のものの大きさと、他の人が見ておるものの大きさと、比べることはできんでしょう? たとえばな、ギー兄さんがどれくらいの大きさに感じておるものか、あしにはわからんよ。・・・こういうことが気になるのは、幼稚やとも思うのやが・・・。

 

猥談が孤独な肉を刺す
男が男につかみかかるまで
女の暖かさは聞こえてくる歌声
星々は冷たい道しるべ
天は氷のような監視を行う
あるいは不幸な着地 海に向かって突っ込み
ビール罐の開くしゅっという音をたてる

ひとりの男の人生のなかの
戦車戦の記憶
裏町を行く私の歩行 私

 

[BACK]   [NEXT]

['98 Angelus ] のTop page へ