----- 一瞬よりはいくらか長く続く間 ------

舞台写真
<左から> 笹木恵子 下條世津子

カジがいう

「ぼくは近いうちに死ぬときまっておるが、痛いやろうとか、息が詰まって苦しいとか、そういうことは恐ろしゅうない。あんまり痛みが大きければ僕の身体はまだ子どもの身体で簡単に気絶してしまうやろうから。それで、もう一度息をふきかえさなんだらば、それが死ぬことなのやから。ただ僕が恐いのは、自分が死んだ後でも、この世界で時間が続いていくことです。しかも自分はおらんのやと思うと、本当に死ぬことが厭です。昼の間はそうでないけれども、夜が来ると恐ろしゅうて・・・ギー兄さんはそのことをどう考えておられますか」

とおい宇宙からやってきたアルゴー船隊員たちが、地球の<カジたち>の心に語りかける。

舞台写真
<手前から> 下條世津子 根本陽子

・・・・・きみは、自分が生まれる前の、やはり永遠に近いほどの永さの時のことは考える? その間、自分がこの世界に居なかったことを思って、寂しく恐ろしく感じることはあるかい?

この世界に生まれてきて、ある期間生きる。つまりひとりの人間の現実の人生があるわけね。その前と後とで、両方とも永遠に近い自分の居ない間の、寂しさ、恐ろしさがどうして違うんだろう・・・・・

その前の永い時と、その後の永い時とに対してね、やはりその中間の、相対的には短い、この世界に生きている時間が大切なんだね。それでいて、ほとんど永遠に近いほど永い時間の前では、一四年と八十年の差は絶対的な問題ではないのじゃないか? そうであるならば、そこから一歩踏み出してさ、私にはこういう気がするんだよ、永遠と対抗しうるのは、じつは瞬間じゃないか・・・・

 

ほとんど永遠にちかいほど永い時に対してさ、限られた生命の私らが対抗しようとすれば、自分が深く経験した、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景を頼りにするほかないのじゃないか? そしてこれはね、実際に確かめてみることができることだよ、カジ。いまきみは森のなかに帰ってきたのだからさ、そうしようと努めれば、明日からいつでも一瞬よりはいくらか長く続く間を経験することができるだろう? それを感じ始めたらすぐさまさ、永遠の感じとくらべてみればいいんだ。・・・・・

隊員8がランボー詩集の「永遠」の始まり部分をいう

また見付かった。
何がだ? 永遠。
云ってしまった海のことさあ
太陽もろとも云ってしまった。

もとより希望があるものか、
願いの條があるものか、
黙って黙って堪忍して・・・
苦痛なんざあ覚悟の前。


アリスが歌う。-----「影の歌」
舞台写真
<左から> 橋場久美 月原 豊
隊員6(ギー兄さんのよう)がイェーツの詩「揺れ動く(ヴァシレーション)」を言う

舞台写真
<手前から> 橋場久美 月原 豊 笹木恵子

店先で街路を眺めている時に
突然私の身体が燃えあがった。
そして二十分かそこいら
感じられたのだ、私の幸福があまりに大きいので、
私は祝福されており、かつは祝福もなしうると。

両極の間に
道をさだめて人は走る。
たいまつが、あるいは燃える息が、
来て破壊する
昼と夜の
すべてこれらの二律背反を。
肉体はそれを死とよび、
魂は後悔と呼ぶ。

しかしもしこう呼ぶことが正しいなら
喜びとはなになのか?

 

隊員3

廃墟と瓦礫のあいだに
新しいものが育っている 遠隔暖房つきのファック用個室
テレビ画面が部屋に世界を吐き出す
損耗は計算済み コンテナーは
墓場の役を務める 廃棄物のなかの人影
生贄のコンクリート人たち ゾンビどもの
行進がCMのコピーにパンチされていく
昨日の流行のユニフォームを着て午前
今日の若者たち それは幽霊たち


隊員1が歌う-----「バルバラソング」

 

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