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ハイナー・ミュラーの仕事(2)

・・・・・岡井直道

1993年-----

・・・・旧東ベルリンの小さな街には時々出掛けていったのですが、いたるところで、レンガ造りの壁が剥げ落ち、外側が乾燥して白く干上がった建物を見かけました。それらは、真横から照りつける夕方の光の中で見ますと、まるでかげろうの中に浮かぶ廃屋のように見えます。これらの建物にはたいがい若者達が住みついており、彼等は壁に色を塗り、様々なオブジェを作り、穴を穿ち、旗をなびかせ、音楽を奏し、歌い、踊り、語り、飲み・・・・・毎日せっせと何ものかを作り続けています。そんな場所の片隅に座り、コーヒーを飲みながら時を過ごすことがよくありましたが、私にとってそこはまるで、“夢のような風景”のある場所でした。夜は夜で、こんな場所には人々が集まり、展示された絵や彫刻をみたり、演劇や演奏を楽しんでいます。ここには、19世紀パリの“パサージュ(遊歩道)”の印象に通ずるものがあります。しかし考えてみますと、ここは、明日にも取り壊されて新しい建物が建て始められるかもしれない、そんな場所でもあるのです。それでも人々は、“明日という未来”に頓着せず、こつこつと何かを作り続けています。ここは正に“過去と未来の隙間”

(H・ミュラー)“夢の遊び場”そんな不思議な空間なのです。ベンヤミンのいう“das Ephemere (はかなさ)”とは、こういうことなのかもしれないと、妙に感じ入ったりもしたものです。「光が影の中からもがき出てくる」(W・ベンヤミン)かどうかは、まだわかりませんが、この風景の中には、確かに<救済のユートピア的因子>があるように思えます。こんな感覚は、あらゆるものが管理されている日本という国では、なかなか掴みえぬものなのかも知れません。・・・・・

(岡井著「ハイナー・ミュラーにおける叙事詩的演劇の現在」より)

 私が、ベルリンに滞在したのは、東西の壁が取り払われて2年が経過した頃で、旧東ベルリン地区の新しい“建設”はまだほとんど手つかずの時期でした。

 “空白期”ともいえるような不思議な一時、うちに重層した多くのものを秘めたこの大都市は、私に、多くの示唆とインスピレーションを与えてくれました。物質的、肉体的な原理の重要さ、宇宙的、社会的、肉体的な諸要素の緊密なつながり、詩と再生の情念の重なり合い、そして、あらわな上下関係をひっくり返してみせる哄笑-----これらのイメージは、私に、全くの異境であるヨーロッパの古都にありながら、なにか“同質の普遍性”にいたる表現の道を開いてくれたように思います。それは“進歩”と“科学”が同一の地平で語られる“現代”という地点ではなく、永続する貧困と混沌たる豊かさをそのうちに秘めたものの住む土地で、なお生き続けているメタファー群においてということなのです。

 私は、今年(1998年)の6月と7月に<ハイナー・ミュラーをめぐって>という企画の中で2本の台本を作り上げました。この作品は、ハイナー・ミュラーやw・ベンヤミンの生き方とその作品行為に触発され、私のベルリン体験と、帰国後の癌の手術等の経験が核となって生まれたといっていいと思います。

 そして作品の大部分は、大江健三郎と大江光の作品によって構成されているのです。大江健三郎氏がかってあるインタビューに答えて言っています。

「・・・・・文学の仕事は、小さな問題をたいてい小さな国の言語で表現し、それを大きなものにつなげていくということなのです。・・・・・いま求められているのは、自分たちと違うものを排除するか、のみこむ怪物のようなアイデンティティーではなく、積極的に広い世界に参加し、他者との関係をつくりだしていくための核となる考え方です。・・・・大きな身ぶりでそろって世界に参加するのではなく、個人として小さな関係を積み重ねる参加が重要なのです・・・・」と。

大江健三郎氏と大江光氏の作品行為に感謝いたします。

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