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97,夏 Angelus 実験劇場No2 |
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ふたりの娘ゴネリルとリーガンに城を追われたリア王は、嵐の荒野をさまよいながら、怒りに叫ぶ。
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風の中をリアがいく |
☆出演者☆ リア ブリテン王・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・月原 豊(東京演劇アンサンブル) ☆スタッフ☆ 演出協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若山知良 (新人類人猿)
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劇場に居るものたち 岡井直道(演出家)
『きれいはきたないで、きたないはきれい』――シェークスピアの「マクベス」の中で三人の魔女が唱える呪文だ。清と濁が混在する世界――。 W・ベンヤミンはその生涯の著書「パサージュ論」の中に、二十世紀初頭のパリの街中を徘徊しながらそこに清と濁が混在した世界を見て、その観察とインスピレーションを記している。 科学技術の進歩につれて、都市生活では合理性と効率性が重要視される。きたないもの非効率のものは排除され、きれいなもの効率のいいものがはばをきかせる。いまや二十世紀世紀末の日本では、多くの町々が都市化されてしまい“便利さ”と“清潔”が正しい「進歩」の姿となってしまった。 ベンヤミンが見たパリの街路には、洗練された商品が並ぶ超一流のブティックや画廊、レストランなどとともに、そこに住むパリっ子たちの生活が混在していた。いわば街頭の生活臭と混じり合った「進歩」の姿だった。それは一筋縄ではとらえられない様々な要素を含んでいる。画家たちや街頭で歌う歌い手(シャンソン歌手)たちが飽きず繰り返しその姿を記録していた。ベンヤミンはそんな街頭にいて、新たな産業社会が生み出す文明に、暗い予感を抱きながらもなお「暗闇から光がもがきでてくる」と書きつけている。 二十世紀末の今日、多くの人たちの劇場に対するイメージも随分と変わってきたのではなかろうか。劇場では、すっきりとわかりやすいもの納得できるものが求められ、日常の生活よりチョッピリおしゃれで洒落ているものがもてはやされている。便利でお手軽なこの時代、光と闇が交代する一時の薄暗がりも、早めの照明によって消滅しつつある。 昼の光の中では目立たなかったものが夕暮れとともにうごめき始める。それはどこか不安定でとらえがたい様子をしているが、同時に密かな高鳴りをもたらしてくれるものなのだ。 遠い記憶、懐かしい記憶に残っているもの ―― これは“あこがれ”なのかもしれない。 劇場の柱の陰や、薄暗闇の中には馬鹿者や魔物が住んでいる。劇場で僕たちの感覚が動き始める。怖いもの見たさの感覚に似ている。そこに居たいのか逃げ出したいのか自分でも判然としない、本当に! 1997,8,25
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