1998年1月15〜17日 金沢市民芸術村<ドラマ工房>で上演した「リア王」の様子を紹介!

  風に吹かれて ― Blowing in the Wind―

 昨年(一九九六年)十月に金沢市民芸術村がオープンしたが、この施設が全国に先駆けて二十四時間の使用を可能にしたことはまさに画期的な事件であった。
 従来から、公的施設の多くはその管理運営体制の硬直故に夜の九時以降や休日の利用はほとんど無理だった。昼間働く者にとっては何とも利用のしにくい状態にあったわけだ。これはなにも公的施設に限ったことではなく、民間の多くの施設も昼型で管理運営されているのが現状だ。そんな中で、利用者自らによる管理運営を意識して作られた芸術村の施設は、まさに希有の存在なのだ。

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 生産活動主体の生活スタイルは、ずいぶん長い間この国のあらゆる基準を作ってきたし、人々はその中で汲々と経済生活を営んできている。働いて物質を生産することが全てに優先する社会。幸せもまたその物質的富の大きさによってはかられる世界。こんな世界の規範から抜け出すには、本当に多くの知恵と自由へのあこがれが必要となる。

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 そもそも、”進歩”という概念が人々の意識に現れたのは、いつ頃のことなのだろう。われわれの遠いご先祖様は<縄文>の昔、採取、狩猟をして暮らしていたという。人々は自然の中で自然に沿って流離っていた。

そしていつの日か、人々は風に吹かれて暮らすことを止め、土地に定着して耕すことを始めた。
ずっとずっと昔、<弥生>の時代のことだ。
それでも乾燥した風の強いところでは土地を耕すことはなかったという。生き物の知恵がそうさせたのだ。
人々は風の中に身をさらして生きた。

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photo by Kei Noda

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そしてまたいつの日か、溝をうがち水を導き、より多くの土地を耕し始めた。
増えていく人間の“必要”のために、工夫し、耕し、多くの道具を作った。
人々は風を避け風を防ぐ知恵を生み伝えた。

堅い床の上をたくましい足音が行く カツカツ、カツカツ、

 <縄文の世界>は何千年も続いたのだという。
何千年も続いた生き方は、私たちの命の深いところに刷り込まれているようだ。
風の中を流離う民の生き方が、妙になまめかしく映る。
 これは、そう、あこがれ、というものなのだ。

 そして今、リアが風の中を行く。人々が風の中に向かって歩み始める。


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