1998年1月15〜17日 金沢市民芸術村<ドラマ工房>で上演した「リア王」の様子を紹介!

(右記事 内容)

 筋立てが複雑で、人物が入り乱れる。せりふは哲学書の一節や書句集のよう。つまり、いつ見ても、読んでも、シェークスピアは難しい。
 金沢市の劇団「アンゲルス」はこのほど、第二回公演として「リア王」を市民芸術村ドラマ工房で上演した。なぜ平成の世に、この戯曲に取り組むのか。観客を十分に納得させるには、難解な印象を消し去れなかった点は否めないだろう。
 しかし、ここでは演出の岡井直道(東京演劇アンサンブル)が、公演の随所に若々しい仕掛けを施した勇気を評価したい。リア王を理解し、接近するためにどのような挑戦がなされたのかを検証してみよう。

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「だれが一番、父のことを思っているか」
ゴネリル、リーガン、コーディリア、の三人の娘を前にそう問い掛けたばかりに静かな余生を失うとはだれが信じよう。リア王は吹き荒れる嵐の中で狂い、さまよい、最後は死に至る。
 岡井はリア王の悲惨さを軽視している訳ではない。が、今公演では親子の愛や臣下の忠義など、世間で大切とされるT約束事Uが消え去った後に生まれる解放感が強調される。
 公演の副題は「Blowing In The Wind」(「風に吹かれて」、ボブ・ディラン作詞)で、約二時間の劇中でも数回、登場人物がこの曲を歌う。岡井はこう言う。

 「リア王の物語は尊重しながらも、風にさらされることで、人の体に自然に身に付いてしまっているこわばりから外れてゆきたいと思う。そんなあこがれを表現したかった。」
 ベトナム戦争の際、反戦を訴えるプロテスト・ソングとして若者から絶大な支持を受けた名曲の歌詞は、よく聴くと不思議だ。戦争を憎み、平和を求める感情が訴えられ、曲の締めくくりは「答えは風に舞っている」(片桐ユズル訳)というのだから。

読売新聞石川版 掲載記事(1998.1.27)

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 リア王が、このフレーズを知っていたら我が意を得たり、とひざを打っていたかもしれない。「風に吹かれて」はリア王の世界に通じる部分を確実に持っているのだ。
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「通りゃんせ、通りゃんせ」「ずいずい、ずっころばし」など公演では、どこか懐かしさを覚えてしまうような童歌の一節も歌われ、「けんけん」の足の動きも見られた。また、でんでん太鼓、オカリナ、ハーモニカ、おもちゃのラッパが使われるのだが、これはリア王と無邪気な子どもとの相関性を暗示させる。

  圧巻は、開幕直後の白いお手玉と閉幕直前の赤いお手玉の飛しょうの美しさか・・・・。冒頭、これから現れてくるであろう人物が全員登場。数人により、白いお手玉が薄暗い空間を舞う。受け止める手からこぼれ落ちるかのように響く「シャーンッ、シャーンッ」という音が激しいドラマを予感させる。
Q終幕、すでに死んでいるはずの人物を含め、やはり、全員が登場し、赤いお手玉が飛ぶ。暗やみに張り付いた血のりにも見える。お手玉の発する音、今度は鎮魂の祈りに聞こえる。
 白でも赤でもお手玉が投げられる様子は、まるで水面に次々と投げ込まれるつぶての波紋のように感じられる。人それぞれに微妙に生じる動きと音とのズレが、シェークスピア世界の持つ懐の深さを想起させ、とても効果的だった。
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 ただ、あれこれ詰め込み過ぎて、どの仕掛けも
化不良に終わってしまっているのは残念。もう少し「演劇で何を訴えたいのか」を整理した上で第三回公演に臨んでもらえれば有り難い。
               (文中・敬称略)

市原 尚士

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